毒親育ちの末路 魂の殺人

毒親の都合の良いロボットとして生きた人間の人生(本人はロボットとして生きていることに全く気づいていない)

叔母達は、姉である私の母親にマウントを取らせない為に、母親への嫌がらせの為に私達(姪)をいじめていたのに、自分が選ばれたと喜んでいる毒母


 

叔母が私達を精神的に潰したいと願っていた理由は、自分が上に立つ事で自分に自信が持てるから、そうしないと生きていけないから。

 

私達姉妹が、暗くなって、卑下する事で楽しいと喜びを感じれる人間だから。

嬉しいと。

 

母親への嫌がらせ、母親は私達が優越できる人間(あの人達にとっては、明るい性格で、世間が認めると思える人間。スポーツをする=明るい性格だったり(男の子なら当時は甲子園出場など最高)、世間が認めると思える大学卒、就職していたりするなど)にもし私達が育つと、叔母達に優越する、自慢をしようとする、その私達で叔母達にマウントを取ろうとする。

叔母達の上に来られるのが嫌で、母親を潰す事で、自分が母親の上に立てて自信が持てるから、今までの関係性が保てるから、だから絶対的に母親にそうさせない為に娘である私達を潰したい。

 

叔母達が考える、馬鹿にするべき人間=暗い人間、自信がなくて、卑下していて、世間に優越できない人間、世間から認められない人間に絶対的にしたい、そうしないと叔母達は自信が持てなくなるから生きられないとしている様だった。

 

要するに、自分の姉である私達の母親を殺す為。

 

母親への嫌がらせ。私達を精神的に、人として殺すことが。

 

なのに、母親は叔母が私達を嫌い、精神的にいじめていることで(当時はいじめとは思っていないが、今思えば完全なる精神的ないじめ。虐待)叔母は娘でなく、自分を選んでくれたと喜び、好いてくれていると思い、一緒になって私達に威圧し、上に立ち、いじめる事で同盟を組んでいることが姉妹としての仲良しと勘違いをしている様だった。

 

要するに、父親との関係性と同じ。

 

いじめる事で自信を持ち、同盟を組む事で仲良しと勘違いをしている。

 

 

真実を知れば、母親は自分への嫌がらせの為に、娘を使ってマウントを取らせない為に、叔母達は、私達をいじめていたのに、自分が選ばれたと喜び、一緒にいじめている馬鹿。

 

 

 

弱い毒母が私達姉妹を精神的に威圧できた理由。バックについていたのは毒母の妹二人。私達姉妹は幼少期から叔母二人の事を異常に怖がっていた。


 

特に母親は自分の意思のない、人に左右されるとても弱い人間。

父親も対人恐怖症で、他人には小さくなり、弱い者には大きくなって自分に自信を持とうとする弱い人間。

(多分、幼い頃親に精神的な虐待を受け、その事実に気づいていない。大人になっても親を怖がっている)

 

その弱い人間達が私達姉妹に対して大きな顔をし、上に立って、精神的な虐待をしていた、絶対的に自分達が正しいと強固にしていた理由には、親達の後ろにいた親の兄弟、親戚の存在がある。

 

一番は母親の姉妹二人。

 

父親にとっての叔父も、父親は親水している様だった。

 

母親は弱い人間なので、母親一人だったら私達姉妹がどうにかする事で、考えを操作することができたと思うが、その後ろにいる母親の姉妹の存在によって、母親は絶対的に私達姉妹に対して大きな顔をしていられる、自信を持って上に立ち、偉そうにすることができたのだと思う。

いわゆる精神的な虐待。

 

母親は5人兄弟の長女で、上には兄、弟、二人の妹がいた。

 

母親は、私がが生まれ育った町と同じ町で生まれ育ち、私が住んでいた家から車で15分ぐらいの場所に母親の両親は住んでいた。

 

母親の兄は母親(私にとって祖母)の連れ子で、父親(私にとって祖父)とは血が繋がっておらず、よって、父親から毛嫌いされていたので、(祖父は自分の子供と思っていない)母親の兄弟の間では自分達の本当の兄弟ではないというか、一線を引かれていた様に感じていた。

 

母親の兄は、学校を卒業したら、嫌われていた父親から逃れる様にすぐに大阪に出た様だったので、私が生まれてからほとんど会ったことがなかった。

 

 

このことは、母親達から直接聞いたのではなく、幼心になんとなく、叔父は、祖父の本当の子供ではないから毛嫌いをされていたので、家を出てから地元には帰ってこない事など。多分母親が兄弟達と話している内容などからそう感じていたのだと思う。

 

母親の弟は学校を卒業後、大阪に出ており、母親と5歳ぐらい離れた妹も大阪に出ていた(私の4歳位下の娘とそのの下の息子の二人の子供がいた)。

 

母親の10歳下の妹(私の17歳上。私の姉とは13歳しか離れていない。)は、私たちと同じ町に住んでいて、私が幼い頃は、まだ実家に住んでいたと思う。(祖父母の家)

叔母はその後結婚をして、私達と同じ町に引っ越していた。

 

 

この母親の姉妹の事を特に私達姉妹は、私が物心がついた時から異常に怖がっていた。

 

今思えば、弱い母親が私達姉妹に対して、絶対的な自信を持って精神的な虐待をしていたのは、完全にこの二人の叔母の存在によって。

 

毒母のバックにはこの二人の叔母の存在があった。

 

私が物心がついた時から、姉は両親に加えて二人の叔母の事も異常に怖がっていたので、それを感じて私も怖がっていたと思う。

 

 

私は叔母達が何故怖かったかというと、叔母達の私に対しての敵意、悪意を感じていたから。

要するにイジメ根性を感じていた。

 

絶対的に精神的にぶっ殺したい、このまま自信を持った性格になり、明るく生きられるのが最大の恐怖という様な、異様な根性を感じて、私を根本から毛嫌いする人としての異常さを感じて幼少期は異常に怖かった。

 

 

叔母達は私は姉と違って父親から好かれており、それによって母親からも好かれていると感じていたので、私に対して「いい気になるな」と、「お前はそんな立場の人間ではない」(多分母親は兄弟の中で一番下の位置にいた。兄弟から馬鹿にされていた。それは親がそう見ていたから。私の姉妹でいうと姉と同じ立場)という思いが幼心に感じていた。

 

姉は親によって精神的に殺されているから良いけど、私はこのまま明るい人間になるのが絶対的に嫌と、許せないと、絶対に阻止したいという、私を精神的にぶっ殺したいというものすごい悪意を感じていたので、その人としての異常さを幼心に感じて叔母の事を異常に怖がっていた。

 

 

姉も叔母達のいじめ根性(自分が上に立ちたい、偉そうにしたい、精神的に潰したい、ぶっ殺したい、精神的に生きるなという様な)を感じて怖がっていると感じていたので、私も同様に異常に怖がっていた。

 

 

特に私に対して、叔母達は姉の事をワザと贔屓して、私を毛嫌いしていたので、幼心に何で私は両親から好かれるのに、叔母達から嫌われるのかを不思議に思っていた。

 

今思えば、叔母二人は、姉の事を贔屓する事での私への嫌がらせ。

私への嫌がらせのためにワザと私に対して姉の事を贔屓して見せていたんだと思う。

その嫌がらせ根性、私を精神的に殺したい、その事で自分に自信を持てるから、叔母達にとってそれが命、ようやく生きれるから、絶対的に殺したいという悲痛な思いを感じて幼少期の私は怖がっていた。

 

そう、母親と全く同じ事をしている。さすが姉妹。

 

 

幼少期の私は、親の攻略法は身に付いていたが、叔母達の攻略法は分からず、どう対応すればう良いのかと、嫌われずにすむのかと実は悩んでいたのを覚えている。

 

 

でも、私のこの幼少期の頃の自分の本心は自分で認識していない。

のちに、24歳頃にカウンセリングをするのだが、その時に初めて自分の本心を知る。

 

 

 

 

 

 

 

 

幼い姉が両親に嫌われるのは暗い性格の姉のせい。嫌われるのは当たり前。 両親に精神的虐待を受けているから姉は暗くなっているのに、暗い性格とレッテルを貼り、馬鹿するべき存在として喜んでいる両親


 

私の人生の途中から書こうと思ったのですが、見ている方に分かりにくいと思うので、一旦私の家族について軽く書きたいと思います。

 

私は田舎の町に次女として生まれました。

母親が27歳の時、父親が35歳の時の子供で、私には4つ半離れている姉がいます。

 

私が物心がついた時から父親が姉の事を異常に嫌っていて、母親は父親が姉の事を嫌っているから自分も姉を嫌うという感じでした。

 

いじめの関係性で、父親が姉を嫌っているので、父親と同盟を組む事で父親からの攻撃から身を守るために一緒になって姉を嫌う。

すると、父親は自分の味方になっている、同盟を組む事を母親は望んでいると思い、母親のことを良く見る。

 

それが仲が悪くない夫婦(=普通の夫婦)と勘違いをしている様でした。

 

プラス父親が姉を嫌っている事で、きちがいの父親の矛先が姉に向いている事で自分の身を守れるので母親は都合が良いから喜んでいる様でした。(全く嫌がっていないし、悩んでいない。むしろ好都合と喜んでいる。)

 

 

そして、幼少期の姉は両親に嫌われている事で傷つき、落ち込んでいる事で、例えば泣いたりすると、「弱虫、暗い人間」と両親は決めつけそのレッテルを貼り、バカにしていました。

(ちなみに特に祖父母、母親の兄弟達も同様です。親戚中同類。)

 

両親は「暗い性格」ということがこの世で一番馬鹿にすべきことと思っている様で、姉が両親に嫌われている事で落ち込んでいる事で、暗い性格と決めつけ、馬鹿にし、馬鹿にできる人間がいる事で自分に自信が持てるので、特に母親はようやく自分より暗くて馬鹿にできる人間が身近にできたと喜んでいる様でした。

その姉の存在によって自分に自信が持てると。

父親も。

生きていけると。

 

母親は、姉が暗い性格という事で、馬鹿にできる人が身近にいるから自分に自信が持てると。自分の方が明るいから上と。

今までは自分が馬鹿にされてきたのに、こんなの人生で初めて!

人生薔薇色!と喜んでいる様だった。

 

当時、私は物心がついた時から、両親や姉自身がそう思っているから、姉の事を暗い人間。

姉が両親に嫌われるのは当たり前と思っていた。

姉が悪いと。

 

それは、母方の叔母達や祖父母、親戚一同がそう思っていると感じ、両親の事を周りの人間は皆、普通の人間。私達姉妹が悪いとして思っていると感じていたので、両親は普通。

嫌われる姉が悪い。暗い姉が悪いと思っていた。

 

 

今思えば、幼い姉が両親に精神的なイジメを受け(今思えば完全なイジメ、精神的な虐待)、嫌われ、それを喜ばれ、暗いとレッテルを貼られたら、誰だって幼い子は深く傷つき、正に恐怖、落ち込む。暗くなるのは当たり前。

なのに、それを暗い性格と決めつけ、姉を更に馬鹿にして嫌っていた。

(精神的な虐待)そして、更に姉は傷つくという負のスパイラル。

 

 

 

父親は友達が全くいなく、(母親も。私が幼少期の頃から17歳まで母親には全く友達がいなかった。母親は私が17歳の頃から約20年間浮気をしていた)人付き合いがない異様な性格。

一人の人をロックオンすると、ずっとその人に執着して嫌がらせをしたいと思う様な気味が悪い人間。

 

きっと外ではイジメられていて、小さくなっているが、弱い者には強くなる、憂さ晴らしをする、日頃のストレスを発散しようとする様な人間だから、私たち幼い姉妹や母親には異常に威張りくさっていた。

 

というより、母親の助長によって父親が王様、絶対者の様になっていた。

父親の機嫌を損ねない様に、常に顔色を伺うというか、父親の気分の為に生きる事を母親は幼少期の私たちに常に要求していた。

 

そうする事で、父親にとって点取りができると。

気狂の父親の矛先は姉に向かったままにできて、自分は免れると。

 

 

私達に威張り、偉そうに常にして馬鹿にしたがっていた。

馬鹿にする事で自分に自信が持てると喜んで。馬鹿にできる人じゃないと逆に困るという様な。

そして人としての異様さ、傲慢さが人としの強さ、大きさと母親は勘違いをし、父親を強くて偉大な人の様に見て、怖い人として、まるで弱みでも握られているかの様に、とにかく父親の機嫌の為、機嫌を損なわない様にと精神的な下部、奴隷の様に仕えていた。そして私達にも要求していた。とにかく父親の機嫌が一番と。

 

 

母親はその事実に全く気づいていない。

自分が何をしているのか。

 

他人や私には、むしろカカア天下と思われたい様だった。

弱い人間が一番馬鹿にするべき人間と親は思っているので、自分の真の姿を自分が認められない。

 

 

母親は自分の全ての真実に気づいていない。

自分がどう思ってきたのか。

 

良い母親と他人に思われたいから。

良い母親だから自分に自信が持てるから。

 

人の目の為だけに生きている両親だから。

自分達は普通の親と見られたいと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私は感情がない人間だった

今までの私を知って、私ば感情や心がない人間だったんだと思った。

 

37歳の頃に自覚していた様に、今の自分の感情が自分に分からなかった

自分のない人間だった

 

正に、毒親の都合の良いロボット


 

誰かを非難するのが目的ではありません

誰かを非難するのが目的ではなく、又、人生の内容がどうとかの問題でもありません。

あくまでも、私の真実を私が知る事が目的です。

 

正直、親との生活、関わりを思い出すのは人生で最大の苦痛です。

だから今まで無意識のうちに記憶から消してきたのだと思いますが、何もなかった、私が真実を把握していない事で喜ぶのは親、都合が良いのは親ですし、知らなければ私は親に作られた都合の良いロボットのままなので、頑張って思い出そうと思います。

 

思い出すのが苦痛極まりないので、かなりスローペースになると思います。


 

毒親育の私の人生の途中から書きます

私の人生の中で地獄だった日々で、まだ私が私の真実を把握していないので、その頃のことを知る為に人生の途中から(26~7歳の頃から)を書きます。

 

いづれ、地獄だった幼少期の頃の事も自分が理解する為に書きたいと思います。

 

見てる人には分かりにくいと思いますが、私が私を知る為に書くのが一番の目的となっている為申し訳ありません。

 

そういえば21歳ぐらいの頃、カウンセリングで自分のことばかりを書いているとカウンセラーに非難されたことがありましたが、私は私の真実を全く理解していないので、自分が自分の本心を知りたいです。

 

自分の本心を知りながら生きてきた人には理解できないかもしれません。

(逆に私には、普通の人の事が理解できません。)

 

 

 


 

毒親育ちの私がブログを始めた理由

初めまして。

 

自分に何があったのか、自分の真実を私は全く知らずに生きている様なので、私自身が私を知る為にブログに書きます。

 

(昔から、死ぬまでに毒親育ちの私の人生を文章に残したいという思いもあったので。親が望む様に、親は普通の親だったと、何もなかったとはしたくない。真実を真実として残したいという私の思いの為に。)

 

一番の目的は、私の真実を知る為にブログを書くので、私さえ分かれば良いと、文章が滅茶苦茶な部分が多々あると思います。

 

せっかくなので、できるだけ第三者が見ても分かるように書きたいとは思いますが、読みにくい際は申し訳ありません。

 

いつか余裕ができたら、改めて第三者へ公開用のまとめた記事も書きたい思いもありますが、今は自分用の為の比重が大きいです。